【抱擁の静けさを迎える】トム・エバハート『Lagoon Lullaby Ⅴ』ミクスドメディアのご紹介
ご来館ありがとうございます、やまアートミュージアム館長の山本です。
やまアートミュージアムは、私が運営するネットショップ『やまアートギャラリー』の魅力をご紹介するオンラインミュージアムです。
本日も心に残る一枚をお届けします。
『Lagoon Lullaby Ⅴ』は、チャールズ・シュルツから世界で唯一ピーナッツを自由に描くことを認められた画家トム・エバハートによる、世界125部限定のミクスドメディア版画です。33cm四方の画面が黄・黄緑・ターコイズ・マゼンタで埋め尽くされる中、中央で目を閉じて抱き合うチャーリー・ブラウンとスヌーピーだけが、色をのせない紙のままの白で残されています。直筆サイン・限定番号・本物証明書が付属し、新品額装にてお届けします。
この記事でわかること
- トム・エバハートがシュルツ公認で唯一ピーナッツを自由に描ける画家である理由
- 『Lagoon Lullaby』シリーズがシュルツ氏の死とタヒチのラグーンから生まれた背景
- 画面じゅうで光が踊っているのに、二人が目を閉じている理由
- 人と犬の輪郭の内側だけを白く残す、ミクスドメディアの難しさ
- 直筆サインと限定番号が『作者の合格印』である理由と、125部という数字の出どころ
- この作品に映えるおすすめ額装3パターンと、空間に飾ったイメージ

本日のご紹介作品
本日ご紹介する作品は、トム・エバハート氏の『Lagoon Lullaby Ⅴ』という作品です。
33センチ四方の画面は、端から端まで色でいっぱいです。
黄、黄緑、ターコイズ、マゼンタ。
しぶきと帯が重なって、画面じゅうで色が鳴っています。
ところが、その真ん中だけ、色がのっていません。
目を閉じたチャーリー・ブラウンが、同じく目を閉じたスヌーピーを、頬を寄せて抱き寄せている。
二人のいる場所だけが、紙そのままの白なんです。
抱き合っているところだけ、音がしない。
この『抱擁の静けさ』が、この一枚の主役です。
正直に言うと、初めてこの絵を見たとき、目より先に耳のほうが反応した気がしました。
まわりはこんなに賑やかなのに、中心にいる二人からは何も聞こえてこない。
しばらく、その静かな一点から目が離せませんでした。
今日この作品を知ったら、誰かと肩を寄せているときの『音の消え方』に、少し心当たりが出てくると思います。
この作品の魅力をさらにご紹介していきますが、この作品はスヌーピー絵画が日本一集まるネットショップ、『やまアートギャラリー』で取り扱い中ですので、ご購入希望の方は以下のURLをクリックして当店へお越しください。
世界でただ一人の画家
トム・エバハートは、スヌーピーの生みの親であるチャールズ・シュルツから、世界で唯一の認可を受けた画家です。
ピーナッツのキャラクターを自由に描くことを、正式に許された唯一のアーティストなんです。
1952年生まれのアメリカ人画家で、シュルツ氏とは20年にわたる親交がありました。
面白いのは、彼が描くと、キャラクターが『かわいい』の側からこちら側へ渡ってくることです。
子どもの頃から知っている顔のはずなのに、大人が黙って向き合ってしまう。
そんな絵を描ける人は、世界に彼しかいません。
そして本作には、そのシュルツ氏との20年が、画面の中央にそのまま残っていると感じられます。
数字で見る『Lagoon Lullaby Ⅴ』
まず、この作品の基本情報は以下のとおりです。
作品名:Lagoon Lullaby Ⅴ
作家:Tom Everhart
技法:ミクスドメディア
作品寸法:縦33cm×横33cm
限定:世界125部
署名:直筆サイン・限定番号・本物証明書付属
体裁:新品額装にてご提供
ミクスドメディアというのは、複数の版や技法を層のように重ねて仕上げる版画の作り方です。
注目していただきたいのは、この作品が『正方形』だということです。
縦にも横にも逃げ場がない、いちばん中心が強く出る形ですね。
その中心に、抱き合う二人が置かれています。
そして世界でわずか125部。
海外の提携ギャラリーに厳重に保管されていた一枚を直接取り寄せていますので、まだ一度もコレクターの手に渡っていない、新品未使用の状態です。
この『Lagoon Lullaby』は、2026年4月に新作が加わって、全9枚のシリーズへと広がりました。
コレクターとして正直に言えることがあるとすれば、シリーズものは『好きな一枚』から先に消えていくんですよね。
・・・ただ、数字で語れるのはここまで。
ここからは、なぜこの二人が目を閉じているのか?
その『静けさ』の出どころの話に迫っていきたいと思います。
南の海に、光をもらいに行った人
この絵の原点は、2000年にさかのぼります。
エバハート氏は、20年来の親友だったチャールズ・シュルツ氏を亡くしました。
そのとき彼は、世界をまったく新しいかたちで感じ直す必要に迫られた、と振り返っています。
そうしてたどり着いたのが、タヒチのラグーンでした。
初めてラグーンに身を置いた瞬間のことを、エバハート氏はこう語っています。
「子どもの子守唄がもたらすような、内側がすっと整う感覚だった」と。
悲しみをほどいたのは、言葉でも時間でもなく、南の海の光だったわけです。
それから25年。
彼のタヒチのスタジオは、ラグーンの水面から約3メートルの高さに、柱で持ち上げられて建っています。
スタジオの下に灯した明かりが、まず足元のラグーンの水面に映る。
その光が反射して、寝ている彼の真上にある茅葺き屋根の天井へと、踊りながら昇っていく。
毎晩、眠りに落ちる直前に見上げてきたのが、その光でした。
ここが、この絵の不思議さにつながってきます。
画面じゅうで光が踊っているのに、肝心の二人は目を閉じているんですよね。
つまり、この光は『見ている光』ではないんです。
まぶたを閉じたあとも、まぶたの向こうでまだ揺れている光。
子守唄と同じで、聞こうとしなくなってからのほうが、よく効いてくる。
そしてもうひとつ。
このシリーズは、コミュニケーションの大切さを描いた『Coconut Radio』シリーズのすぐ後に生まれています。
子守唄というのは、世界中の多くの共同体で、伝統や文化を次の世代へ手渡してきた歌でした。
だからエバハート氏にとって『子守唄』は、ただの眠りの歌ではなく、伝えることの続きなんです。
そう考えると、この絵の中央で抱き合っている二人の意味も変わってきます。
親友を喪った人が描く『抱擁』は、失ったものの記録ではなく、まだ渡せるものの姿なのだと感じられます。
こういう絵ですから、飾ると効くのは一日の終わりです。
寝る支度を終えて部屋の照明を落とすと、壁の一角だけが、まだ誰かと肩を寄せているみたいに明るいまま残ります。
白は、寄せつけないことで残っている
さらにすごいのは、この中心の白が、塗って作られた白ではないところなんです。
どういうことか?というと、版画の白は、白い絵の具を置くのではなく、最初から一切色を乗せずに残しておく場所だからです。
これがどのくらい大変か?というと、壁にマスキングテープを貼ってペンキを塗る作業を想像してみてください。
まっすぐな線に沿って貼るだけなら、誰でもできます。
ところがこの作品で残されているのは、耳、鼻先、頬、腕、足まである『人と犬のかたち』です。
曲がって、くびれて、また膨らむ輪郭の外側だけを、何色も重ねて塗っていく。
しかも1色ごとに版を替えて、何度も押し重ねていくわけです。
どこか1回でも、どこか1ミリでも内側に入れば、残しておきたかった白が汚れます。
そのうえ形は正方形ですね。
正方形は、真ん中がいちばん強く見える形です。
つまりこの作品は、見る人の視線がまっさきに落ちる場所に、いちばんごまかしの効かない白を置いているわけです。
結果として何が起きているかというと、色が二人の上に乗っていないので、黒い線の輪郭が色より手前にいるように見えます。
背景が二人を囲んでいるのではなく、二人のまわりに背景が届かずにいる。
その見え方が、あの静けさの正体です。
・・・と、ここまででこの作品の『仕掛け』はお分かりいただけたかと思います。
次は、その外側で鳴っている色が、どんな仕事をしているのか?見ていきましょう。
黄は昼の名残、青は水そのもの
この絵を前にすると、不思議と呼吸がゆっくりになりますよね。
あの感じの正体が、色の配置なんです。
まず目に入る黄と黄緑は、昼のあいだに水面へ落ちた光の名残です。
均一に塗られていないで、しぶきと細い帯が混ざっているので、照明のような平たい明るさにならず、跳ね返ってきた光の粗さが残っています。
その合間に差してくるターコイズと青は、光ではなく水そのものですね。
指先を浸けたときの、あのひやりとした温度が入っています。
そして端のほうに滲むマゼンタとオレンジは、日が落ちきる直前の空の色です。
昼と、水と、夕暮れ。
一枚の中で、時間が三つ重なっているわけです。
だから画面が賑やかなのに、うるさくならない。
この絵は、いわば色で和音を鳴らしているんですね。
その和音の真ん中に置かれているのが、二人の白です。
白は色に触れていない場所、つまり素肌のままの紙なんです。
これだけ色が鳴っているのに見ていて疲れないのは、中心に一点、何も塗られていない場所があるからだと感じられます。
そしてもうひとつ効いているのが、二人を描く黒い線です。
黒は、この絵の中でいちばん静かな色なんですね。
まわりの色がすべて声を出している中で、黒だけが声を出していない。
だから見る人の耳は、自然と真ん中に引き寄せられます。
色の置き方がこうなので、照明によって見え方がはっきり変わります。
朝の自然光では、黄緑が澄んで持ち上がり、ターコイズの冷たさが前に出てきます。
窓を開けたばかりの、水の匂いがする明るさですね。
夜、照明を落とすと、今度はマゼンタとオレンジが手前に残ります。
緑と青が静かに沈んで、湯上がりの部屋のようなぬくもりだけが手元に残る。
朝は水の温度で、夜は肌の温度で見える一枚です。
・・・と、ここまでで色の話をしてきましたが、ではこの一枚が『世界に125部』であることを、どう受け取ればいいのか。
125という数字は、どこから来るのか
版画の限定数について、私にはひとつ譲れない見方があります。
版画は、原画の代用品ではありません。
原画はたった一点きりで、たった一人のもとにしか行けない。
それに対して版画は、作者が『この表現を余すところなく、もっと多くの人に届けたい』と選んだ、もうひとつの完成形です。
だからこそ、余白の鉛筆サインとエディションナンバーには意味があります。
あれは飾りではなく、作者の合格印なんですね。
作者が納得した一枚が基準になり、その基準に届かない刷りは世に出ない。
そのうえで刷り上がった枚数が、125という数字です。
つまりこの希少性は、売るために後から付けた演出ではなく、工程そのものから生まれているわけです。
だから私は、煽らずに希少性の話ができます。
125部という数字は、あなたを急かすための数字ではなく、作者がここまでで良しとした、という線の数字だと考えています。
・・・と、ここまでで作品の側の話は出し切りました。
ここからは、この一枚をあなたの部屋にどう置くか?の話です。
この絵にはどんな額が合う?
ここからはこの作品にどんな額装が合うのか?
私のおすすめを3パターンご紹介させていただきます。
光をやわらげる『ナチュラル木額装』

シンプルイズベスト。
明るい木肌の額は、画面の黄と黄緑に最も近い温度を持っています。
同じ温度のものが外側にあると、色は額の内側で止まらずに、木の縁を通って壁へ静かに出ていってくれるんです。
この作品は色数が多いので、強い色や硬い金属の額で囲むと、外側と内側で温度がぶつかって画面が余計に騒がしく見えてしまう。
木の額は、そのぶつかりを起こさずに受け止めます。
オフホワイトのマットが一枚挟まることで、色と木のあいだに呼吸の余地も生まれますね。
結果として、賑やかな絵なのに、部屋の中では落ち着いた一枚として掛かってくれる額装です。
実は私自身、自宅に別のエバハート作品を飾っているんですが、いちばん驚いたのは届いた日でした。
梱包を解いた瞬間の胸の高鳴りは、想像していたとおりでした。
想像していなかったのは、休日の朝にコーヒー片手で、ソファから1時間眺めてしまう日が来ることです。
近くで見て初めて分かるインクの盛り上がりは、画面越しには絶対に届きません。
どんなお部屋にもお似合いですが、特に相性が良いのは朝の光が入るリビングです。
リビングにこの額装で飾ると、朝いちばんに黄緑とターコイズが起きてきて、壁の一角が水辺のように明るくなります。
昼はソファ側から見ても色が主張しすぎず、夜に照明を落とすと、今度はマゼンタのぬくもりだけが静かに残る。
そうすると面白いもので、家族の誰かが必ず「今日の絵、朝と色が違うね」と言い出すんですよ。
同じ壁を一緒に見る時間が、一日に何度か増えていきます。
色を鎮める『セージグリーン額装』

「こんなに明るい絵に、くすんだ緑の額装?」と思うかもしれませんが、実はよく合います。
この作品の中には、鮮やかな黄緑にまじって、少しだけ濁った緑が何ヶ所か流れています。
セージグリーンの額は、その最も静かな緑だけを拾い上げて、絵の外側に置いてくれるんです。
彩度を落とした緑なので前に出てこず、画面全体の色の音量をひとつ下げる役をしてくれます。
オフホワイトのマットで間を取ってありますから、緑の気配は出るが、重さは出ない。
賑やかさを削らずに、賑やかさのボリュームだけを絞る額装ですね。
この額装は特に、家に入って最初に目が入る玄関ホールにぴったりです。
玄関にこの額装で飾ると、帰ってきてドアを開けた正面で、一日の中でいちばん最初にこの静かな一点と目が合います。
昼の自然光では緑の額が壁と馴染んで、画面の色だけが浮かび上がる。
夜、玄関灯の下では額が沈んで、抱き合う二人の白だけがぽつんと残ります。
森の中の道で、ポツンと置かれたお地蔵さんに自然と目が行ってしまうことがありますよね。
あの引力と同じものが、玄関の壁の上で毎日働いてくれます。
お客様がいらしたときも、靴を脱ぐ前に足が止まる。
「この絵、誰の絵ですか」から会話が始まる玄関になります。
灯をともす『ゴールド額装』

「スヌーピーの絵に金の額は大げさでは」と思われるかもしれません。
ここが面白いところで、金は豪華さのためではなく、画面の黄をもう一段だけ遠くへ届けるために効きます。
落ち着いた色味のゴールドは、それ自体が光を反射するので、電球色の下では額そのものがほのかに灯ります。
つまり作品の外側に、もうひとつ小さな明かりが増えるわけですね。
この作品はただでさえ光を描いた一枚ですから、額が灯ることで、描かれた光と部屋の光がつながって見えます。
暗い壁の上に掛けたときに、いちばん効果が出る額装です。
特に相性の良い空間は、照明を落としたカフェやバーのような商業空間です。
カフェにこの額装で飾ると、入口から席へ向かう途中で、暗い壁の中にぽっと明かりがともっているのが見えます。
昼の外光が入る時間は、金の縁がきりっと立って作品の輪郭を締める。
夜、電球を灯すと額が柔らかく光を返して、抱き合う二人の白がいちばん明るい場所になります。
お客様が席についてから、もう一度そちらを振り向く。
「あそこ、何が掛かってるんだろう」と連れの方に話しかける。
もう一度来たくなる一席を作ってくれる額装です。
まとめ
今回は、色が鳴りやまない画面の真ん中に、音のしない一点を置いた一枚『Lagoon Lullaby Ⅴ』をご紹介いたしました。
この絵が家にあると、一日の終わりに、まわりの音が少しだけ遠のく数分間が生まれます。
誰かと肩を寄せているあいだだけ訪れる、あの『抱擁の静けさ』が、壁の上にそのまま残っている。
それは、買った人だけが知る顔です。
まずは作品ページで実物の色を確かめてみてください。
購入や額装のご相談は、以下リンクからやまアートギャラリーへお越しください。
世界にわずか125部、2026年4月に9枚へと広がったシリーズの一枚です。
待っていたら生まれない時間は、自分から作るしかありません。
本日もご来館、ありがとうございました。
この作品の詳細・ご購入はこちらから
作品のご不明点や額装のご相談は、お気軽にお問い合わせください。
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「あの作品、まだどこかにあるだろうか」そんな作品がありましたら、お気軽にご相談ください。作家名や作品名がうろ覚えでも構いません。海外ディーラー・オークション・非公開ネットワークから、お客様だけの一点をお探しします。ご相談・調査はすべて無料。お見積もりまでで終了いただいても構いません。
よくあるご質問
この作品は本物ですか?
はい、作家トム・エバハート本人の直筆サインが入った本物です。限定番号と本物証明書が付属し、海外の提携ギャラリーに厳重に保管されていた一枚を直接取り寄せた、まだ一度もコレクターの手に渡っていない新品未使用の状態でお届けします。
額装は変更できますか?
はい、額装のご相談を承っております。本記事でもナチュラル木・セージグリーン・ゴールドの3パターンをご提案していますが、お部屋の雰囲気に合わせた額装のご相談も可能です。お気軽にお問い合わせください。
送料はかかりますか?
送料は無料です。表示の販売価格がそのままお支払金額となります。海外からのお取り寄せのため、お支払い確認後4〜5週間程度でのご発送となります。
『Lagoon Lullaby』シリーズは何枚ありますか?
全9枚です。2026年4月に新作が加わり、9枚シリーズへと拡充しました。1枚1枚が独立した『夜の一場面』として完結していますので、本作『Ⅴ』だけを単独で飾っていただいても十分にお楽しみいただけます。なお、2点以上をあわせてお求めの場合は特別価格にてご案内しておりますので、ご購入前にお問い合わせください。
なぜ中央の二人だけ色が塗られていないのですか?
版画の白は、塗って作るものではなく、最初から色を乗せずに残しておく場所だからです。本作で残されているのは耳・鼻先・頬・腕・足まである人と犬の輪郭であり、その外側だけに何色も版を重ねていきます。1回でも内側に入れば白は汚れるため、色数の多い本作では最も難度の高い工程です。結果として色が二人の上に乗らず、黒い線の輪郭が色より手前にいるように見えます。
正方形の作品はどんな壁に向いていますか?
幅も高さも限られた壁、たとえば玄関の正面やチェストの上などが向いています。本作は33cm四方の正方形で視線が中央に集まるため、横長・縦長の作品のように壁を一方向へ引き伸ばしません。単独で掛けても収まりがよく、狭い面でも作品の中心がそのまま空間の中心になります。
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